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2020年3月12日 (木)

3.11

昨日は3月11日でしたね。

9年経ちました。
2011年の3月11日、何をしていましたか。

私は東京目白駅近くのマンションで仕事中でした。
終了間近で後片付けに入った頃、いきなりグラッと。
最初、めまいかと思いましたが直ぐに地震だと気がつきました。

まず調味料が瓶ごとが飛んできて、リビングに立て掛けられていた鏡が倒れて破れ、
あまりの揺れにここで死ぬんだと思いましたが暫くすると揺れが収まり
窓から山手線が止まっているのが見えました。
私が居たのは細長いペンシルビルのような高層マンションだったので尋常ではない揺れだったようです。

春休みで自宅に居た長女は無事で
「揺れたからウサギと一緒に机の下に入ったけど大したことなくてお皿1枚も割れてない」とのこと。
当時使っていた携帯はPHSだったので幸いにもずっと連絡が取れました。
次女の学校に電話し、迎えに行けない私の代わりにお友だちのお母様が車で行ってくださることになりました。
次女は体育館で運動中で、地震にはほとんど気がつかなかったそうです。

目白から夫と待ち合わせた場所に向かう中でナースサンダルを履き手にパンプスを持った女性をたくさん見かけました。

中野駅に着けば中央線に乗れたり、バスが動いていたりするのかと思いましたが、
駅はシャッターが下り構内に入れない状態で、バスは動いてはいましたが長蛇の列で乗れそうもありません。
神田から歩いてきた夫と2人で自宅まで歩くことにしました。
11時過ぎに家に帰ると長女と次女が待っていて、地震の影響は宮城県、福島県など
東北地方がずっとひどいことを知りました。

その後余震が続き、トイレットペーパーが手に入らなかったり、
準備していた次女の卒業式が縮小でギリギリ式だけしていただいたりがありましたが、
東京にいた私たちは段々元の生活に戻って行きました。

今でも「何年前か」の話をする時「地震の次の年だっから2012年」というふうに2011年を基準に考えます。
9年経って東北の復興がこれ程進まないとは予想していませんでした。

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